貫啓二代表取締役 株式会社串カツ田中の串カツ戦略

会社

串カツ田中誕生秘話

串カツ田中の貫啓二社長は1971年生まれの大阪出身です。
貫社長は高校を卒業後、大学に進学しないでトヨタ輸送に就職します。トヨタ輸送ではトヨタ流のカイゼン活動などに従事し、生産された車を配車したり、カンバン方式の時刻表を組んだり、営業ををするなど、様々な業務を経験します。
仕事は順調な一方で、決まった人生ではなく、何かしたい、自由に生きたいというとの思いから27歳で独立します。 手始めに大阪にショットバーを開くも当初から苦戦します。当時のショットバーの常連客が現串カツ田中の副社長田中洋江氏でした。その後、大阪にデザイナーズレストランと東京に京懐石の店を開き繁盛させるも、リーマンショック後の不況で業績が悪化。倒産寸前に陥ったが、田中洋江の実家にあった串カツのレシピを再現し、串カツ田中をオープンさせます。開業直後から串カツ店はすぐに繁盛店となり、窮地を脱します。そして、半年に一店舗ぐらいのペースで出店していくようになります。

串カツ田中のフランチャイズ展開

串カツ田中は当初は直営店舗での運営を考えていたものの、東京都内で模倣する店が出てきたため、フランチャイズ展開を始めます。
当時串カツはまだ東京では浸透していない食べ物だったため、模倣する店で胸焼けがする串カツを売られたら、串カツという食べ物のジャンルそのものが敬遠されてしまう恐れが出てきたためです。
そのため、東京の人に一番最初に串カツ田中の串カツを食べてもらうためにはスピード展開するしかなく、その手段としてフランチャイズの手法を考え、展開していきました。
フランチャイズで店舗数を急拡大していき、成長スピードも加速していきます。田中家のレシピをみつけてからわずか10年後の2016年に東証マザーズ上場。直営店、FC合わせて166店舗を展開するなど成長のスピードは衰えるところを知りません。

今後の串カツ田中の展望

現在の貫社長の目標は串カツを日本を代表する食文化に育て上げ、店舗数を1000店舗に増やすことです。串カツを焼き鳥に匹敵するほどの食ジャンルに成長させることがを目標にしています。事業拡大したいからではなく、あくまでも串カツを誤解されたくないためにとったフランチャイズ展開のエピソードからも、串カツに対する貫社長の愛情が感じ取れます。いつか日本を代表する食文化に育つその日まで、貫社長の挑戦は続きます。

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