鈴木喬取締役会議長兼代表執行役会長 消臭ポットが大ヒットしたエステー株式会社の商品戦略

会社

商人に憧れるも、日本生命に入社

エステーの鈴木喬会長は1935年1月18日生まれ、東京都出身です。大学に入る頃は商人になりたいと思っていた鈴木氏は叔父に勧められて一橋大学に進学します。
実家では雑貨屋をやっていたのですが、大学に通っているうちにサラリーマンの方が楽そうという’理由で、1959年に日本生命保険相互会社入社します。
当時個人保険ではトップだったものの、法人保険では後塵を拝していた日本生命で、ナンバーワンになる方法を社内でプレゼンをしたりと、常に物議をかもす存在だったようです。
一方で成績は優秀で、40代の時には法人営業部門を立ち上げ、年間契約高1兆円以上のトップセールスマンとして活躍します。

コンパクトで筋肉質な会社へ

1986年にエステー創業者である兄の相談される形でエステー化学株式会社に入社します。
98年に代表取締役社長兼営業本部長に就任すると、商品の品種数を890から280まで3分の1に絞り、5つあった工場も3つに集約するなど、「コンパクトで筋肉質の会社」をスローガンに社内改革を実行します。
新商品の数も絞り、毎年60アイテム以上出していた新商品も消臭ポットだけに絞る決断をします。
機能性を重視した消臭剤ばかり並んでいるなか、ひときわ目立つポット型のカワイイ商品だったため、絶対に売れると鈴木会長は革新し、経営資源を集中させる判断をしました。
開発からネーミング、テレビCMの企画づくりまで、自らが率先垂範して作っていき、結果は大ヒットとなります。

消臭ポットの大ヒット

それまで1年間に300万個売れたらヒットといわれていましたが、「消臭ポット」は初年度で1000万個の目標を達成しました。
その後も、今ではアメリカのウォルマートのほとんどに入っている冷蔵庫のなかのにおいをとる「脱臭炭」や世界シェア75%を獲得しているお米の防虫剤「米唐番」など、次々とヒット作を生み出していきます。
これまでの「世にない商品」を投入していき、6年で悪化していた業績を立て直し、2005年3月期には創業以来最高益を更新しました。
鈴木会長は商品開発において「グローバル・ニッチ・No.1」を掲げています。
国内最大手の花王は売上約1.4兆円、世界最大の同業者P&Gは約10兆円もあるのに対して、エステーは年間約475億円と規模ではかないません。
大手が手を出しにくい小さな市場に目を付けて、商品を打ち出す商品戦略によって次々とヒット商品を生み出しています。

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