大山健太郎代表取締役会長 オイルショックでの失敗を糧に事業拡大したアイリスオーヤマ株式会社

会社

父の病死後の社長就任

アイリスオーヤマの大山健太郎会長は8人兄弟の長男として大阪府南河内郡道明寺村(現藤井寺市)に生まれ、大阪府立布施高等学校を卒業しています。
高校三年の夏に、大山氏のお父様に癌が見つかり余命一年と宣告されました。
大山氏は大学進学を目指して勉強していたものの、御父様は東大阪のプラスチックの小さな町工場を経営しており、その事業を承継する他ない状況に置かれました。
翌年の7月に御父様が亡くなると、その後を引き継ぐ形で若干19歳で大山ブロー工業の経営者としてのキャリアをスタートします。
会社の規模は当時は年商500万程度、社員も4~5名の零細企業でした。

若さを強みに事業拡大

当時は会社としての強みが見いだせず、19歳という自分の若さを武器にしようと、人一倍働き、社員が帰った後も機械を動かし続けていたそうです。
人の嫌がるような仕事もイエスと答えていたため、徐々に取引先を拡大していきました。
22歳の時に、一生下請けで終わりたくはないとの強い思いから水産のプラスチック商品を開発し、メーカーとしてスタートします。
そこから倍々ゲームのように会社は成長していき、水産資材だけではなくプラスチックの農業資材まで作るようになっていきました。

オイルショックの失敗をバネに多角化へ

27歳の時、ちょうどオイルショックの時に特需が起き、仙台に東北、及び北海道向けの工場を作ります。しかし、オイルショックが終わると、注文は全く入らなくなりました。
値段が上がる前に買おうという需要の前倒しだったことに気が付かずに工場の投資を決めてしまったのです。結果的に大きなリストラをすることになり、一緒に頑張ってきた社員を解雇することになります。
大山社長はその経験から景気に左右されない会社作りを決意します。
そこ後は園芸用品の需要創造に成功しますが、変化あがっても利益が出せる会社を作る方針のもとで、ペットブーム、その次にプラスチックの収納といった形で新規事業に取り組み、会社を成長させていきます。
今も経営理念には働く社員にとって良い会社を目指すこと、社員が良くなると会社が良くなることを明記し、社員と一緒に経営拡大していく方針を掲げています。

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