笠原健治会長 株式会社ミクシィのSNSヒットからの軌跡

会社

求人サイト立ち上げからスタート

ミクシィの笠原健治会長は大阪府の千里ニュータウンで育ち、大阪府立北野高等学校卒業後、東京大学文科二類入学しまいた。
東京大学在学中にネットエイジ社長西川潔の支援を受け、1999年に同社オフィス内に有限会社イー・マーキュリーを設立します。
求人サービスであれば情報を取り扱うビジネスになるため、資本力のない学生でも出来ると判断し、求人サイト「Find Job!」を立ち上げます。
自分用のPCとホームページのつくり方の参考書を買って勉強しつつ、当時の求人雑誌で広告を見ては、Find Job!にも載せないかと電話営業をかけてクライアントに知ってもらい、徐々に掲載を増やしていきます。ローンチして2年ほどで、「Find Job!」の年商は1000万円に達しました。

オークションサービスの失敗とミクシィの大成功

その後オン・ザ・エッヂと共同でeHammerというオークションサービスをローンチするものの、ヤフオク!や、ebayといったユーザー基盤が整った大手にはかなわず、eHammerは売却します。
eHammerの失敗により参入のタイミングやサービスの運営体制の難しさを改めて実感した笠原社長は2004年にミクシィを開設しました。
ミクシィは大ヒットとなり、ローンチ10か月で利用者が20万人突破、3年目には660万人突破するなど街中でミクシィという単語を聞かない日はないほどの社会現象となり、新語・流行語大賞Top10にも選出されます。
そして2006年にイー・マーキュリーの商号を社会的サービスに成長したミクシィに変更するとマザーズに上場します。

モンストの大ヒット

しかし日本でSNSが盛り上がりを見せる中、2008年にTwitter、Facebookが相次いで日本語対応、台頭してくると、SNSのユーザーは急激に他社にシフトしていきます。
新規サービスでの打開を図りたい笠原社長は2013年には、新規サービスの創造に注力するべく、会長職に就き、同年モンスターストライクがローンチ2か月で利用者100万人を超える大ヒット、見事ミクシィは復活を遂げます。
家族という近しい相手との気兼ねないコミュニケーションを生み出す「みてね」、友人同士で伝染していく楽しさを提供するモンスターストライクなど、mixiは仲がいい人との深いコミュニケーションを提供する会社として現在も奮闘しています。

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