秋元巳智雄代表取締役社長 社員の気持ちを常に考える株式会社ワンダーテーブル

会社

スローフード生活を送っていた秋元社長

株式会社ワンダーテーブル代表取締役社長の秋元巳智雄氏は1969年生まれ、埼玉県草加市出身で、日大一高を卒業後、明海大学に入学、卒業します。
先祖代々続く地主の次男として生まれた秋元は、地産地消の生活を幼少の頃から送っていました。
実家の方針で自分の家でつくった野菜や米でのみ生活をしていたため、自然と人よりも食材や味といったものに興味を持つようになります。

一国一城の主になりたい、お店のオーナーになりたい、社長になりたいといった夢を持っていた秋元社長は銀座の飲食店でアルバイトを始め。その時の仲間と一緒にお金を出して有限会社設立するなど、飲食業を天職と認識し、起業家を志していました。
その後ミュープランニング&オペレーターズに入社、実績を積み、1997年に後にワンダーテーブルに社名変更をする富士汽船に入社すると、
飲食店の企画からプロデュース、サービスの研修を手掛けた秋元氏の仕事は多くのクライアントを魅了し、圧倒的な評価を獲得していきます。

リーマンショック、その後の非上場化

2009年にリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけとした世界的金融危機が起こり、ワンダーテーブルもその影響を多大に受けました。
次々と店舗を閉鎖していき、2010年には東証二部上場を諦めて、非上場化することになります。

思い切って店を閉めていき、店のクオリティと社員のモチベーションを高く維持できれば、必ずもう一度復活できると信じていた秋元氏は、
社員の気持ちを一番に考え、当時「疾風に勁草を知る」という言葉を幹部社員には送っています。
強い風がこれからも吹いていく、あと2年くらいで20数店舗閉める厳しい状況が続くが、
勁草、つまり地に足を付いて力をつけていく時期で今を乗り越えて素晴らしい会社をもう1回作ろうとのメッセージです。

2か年会社再生計画、そして復活

再出発に向けて2ヶ年計画の会社再生計画を立案し、実行に移していき、
一人も社員を解雇せずに、2年後の2011年に見事当時過去最高売上を達成、見事に復活させます。
社員を解雇せず、我慢の時として閉店の進めて、結果的にポストを減らした結果、社員同士での競争が促進されました。
限られたポストを競った結果社員の成長が促され、2011年の最高売り上げにつながったと秋元氏は振り返ります。

ワンダーテーブルは食べ放題、和食、イタリアンなどさまざまな業態のオリジナルブランドを持ちつつ、
バルバッコア、ロウリーズ、オービカ、テール・ド・トリュフなど欧米中心とした優良海外ブランドを首都圏を中心に展開しています。
予約も思うようにとれない人気店を多数抱えています。

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