河原成美会長 世界にラーメン文化を広げる株式会社力の源カンパニー

会社

一風堂の原点

河原 成美氏は力の源ホールディングス代表取締役会長兼CEOで、一風堂の創業者です。
1952年福岡県生まれで、27歳の時に30万円の資金で博多駅前に小さなレストランバー「AFTER THE RAIN」を創業した川原社長は
30歳で「天神に出る」、33歳で「新たな挑戦」、35歳で「天職に出会う」という目標をたてていました。
その計画通りに、30歳の時に店を博多駅前から天神に移し、1985年には33歳でラーメン店「一風堂」を開店します。
当時のラーメン店の多くは、汚い・怖い・臭いという印象で、女性が行きたいと思う店がほとんどありませんでした。
レストランバーの女性客との会話をヒントに、女性でも気軽に入れるような、格好いい店を目標にラーメン店を開店、
ラーメン界に一陣の風を吹かせたいとの思いから店名は一風堂としました。

ブレークのきっかけはラーメン博物館への出店

当初は苦労しながらも、徐々に売上を伸ばしていきます。
そして、人気店となる大きなきっかけとなったのは新横浜ラーメン博物館への出店でした。
ラーメン博物館出店後は爆発的な人気となり、翌年には恵比寿に東京第1号店を出店し、毎日ラーメンの人気に忙殺され、35歳で天職を見つけるという目標は、いつのまにか忘れてしまったそうです。
河原社長は2008年3月に一風堂海外1号店としてニューヨークへも進出します。
赤提灯のラーメン屋みたいなものではなく、ニューヨークのアーティストや影響力がある人たちが度肝を抜くような、ラーメンってこんなにすごいものなんだと驚くようなインパクトのあるものを作りたいと、
ラーメン一杯1700円の強気の価格設定して格好良い店つくりに注力結します。
結果、ミシュランやザガットのNY版に取り上げられるなど、大人気店となりました。熾烈な競争市場であるニューヨークでの成功により一風堂の名前を世界に知らしめることになります。

上場、そして事業拡大へ


1990年代後半のラーメン業界の上場ブームの頃から上場を意識していた河原社長は2003年頃にデューデリジェンスを行います。
30万円で始めた会社が既に2003年当時50億円以上の企業価値を算定されたことから、事業拡大を本格的に目指していくことを決意、
2017年にマザーズに上場すると、上場で得た資金を元にグローバルへの進出をもくろんでおり、2025年には国内300店鋪、海外300店鋪の実現を目指しています。
世界中に日本の美味しいラーメン文化を広げる河原社長の今後の活躍に期待しましょう。

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