本坊和人社長 ウィスキーで飛躍する本坊酒造株式会社

会社

社長就任当初から感じていた危機感

本坊酒造の創業はなんと明治5年(1872年)です。当時の日本では、全く新しい最先端技術であった連続式蒸留機による焼酎を製造し確固たる地位を築きました。1960年代以降になると洋酒事業にも着手していきます。山梨にワイナリー、信州にウイスキー蒸溜所を展開します。 そんな老舗酒造の本坊和人社長は就任当初から危機感を感じていました。それは連続式蒸留のもつ付加価値が今では大きくなくなったこと、更には以前は癖があり、出来栄えにばらつきがみられた単式蒸留が風味を持つ本格焼酎として人気が出てきたことです。 時代が変わっているにも関わらず、会社に大きな変化が見られないことに危機感を抱いていました。 そこで本坊社長は常務取締役就任以降、連続式焼酎から売上げを見込めると考えた本格焼酎やワインに事業を注力する方向へシフトさせていきます。

ウィスキーへの投資を決意

そして1990年代後半のワインブームや、その後の焼酎ブームで市場が拡大していく中で転換はうまく進んでいきました。 特にウイスキーは日本のマーケットでは厳しかったものの、欧米のウイスキービジネスの活性化につれて日本製が評価され始め、また国内ではハイボール流行のきざしもありました。ここが売り時、この潮目でやらないとコンテンツをビジネス化できないと思い、長野の蒸溜所に再投資を決意します。  ウイスキーは20-30年経って評価されるリスクのあるビジネスモデルです。しかし長野の蒸留所への再投資を決めていたため、世に出せる新しい商品が生まれ、結果的に大正解でした。

ジャパニーズウイスキーの飛躍

ウイスキーは潜在的に海外では市場が焼酎と比べてとても大きく、日本ではバブルの終わりから洋酒の売上は激減しているものの、世界のハードリカーマーケットは引き続き強い成長を見せています。 特に日本製ウィスキーに対する評価はうなぎのぼりで、スコッチウイスキーを手本としたジャパニーズウイスキーは、繊細な日本人の香味嗜好に合わせて製造技術の改善に努力した結果、今では世界5大ウイスキーの1つに数えられるまでになりました。 サントリー山崎ばかりが脚光を浴びていますが、日本ウィスキーが国を挙げて輸出し、世界から評価される日が来ると信じています。

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